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Re: 「東安土木工程処」

 投稿者:ローラメール  投稿日:2018年10月15日(月)13時23分24秒 93.255.accsnet.ne.jp
返信・引用
  > No.563[元記事へ]

> 東安土木工程処はきっと「東安省公暑」の中だったのではないかと思いますが・・・・。
>
> 東安省公暑に警察暑など、まとまって官庁の施設が多かった。現在は「密山一中」です。
> 東安神社も隣接し、東安の日本人小学校も近い位置でした。
>
> 東安市役所は駅に近い場所でしたし、現在は「密山市役所」となり、同じ位置です。
>
> 省公暑は親父は総務課の課長だったとか、東安警察に勤務されていた方から聞きました。
> すぐ近くの官舎街に住み、思い出深い少年時代です。
>
> 呼べば答える位置にローラさんご一家は一時期お住まいだったのですね。
>
> 一度、ネットで東安放送局近くの官舎に住んで、小学校に通ったという方から連絡があり、
> 放送局があった記憶が夢幻のように思えるので、自分の記憶が正しいか確認したいということでした。
>
     ★★★

Yoshiさん、
貴重なコメントありがとうございます。

兄たちが同じ東安小学校へ通っていますね。でも、Yoshiさんが1年生に入学した時には、我が家はすでに北安に転勤しておりました。

官舎が近かった可能性はあるでしょう。

11月中旬に2日間兄とゆっくり話す機会があります。
この点に関して尋ねてみます。

牡丹江の場合は、照爺さんが詳しく当時の地図などお持ちで、独立した牡丹江土木工程処の役所の位置やその近くに並んで建っていた土木工程処関係の官舎など教えていただきました。
でも、牡丹江は大きな都市ですから、参考になるかどうかは分かりませんね。

http://www2.accsnet.ne.jp/~laura_1788/

 

Re: 「東安土木工程処」

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年10月14日(日)20時08分27秒 64.64.108.145
返信・引用
  > No.563[元記事へ]

>> 省公暑は親父は総務課の課長だったとか、東安警察に勤務されていた方から聞きました。
>
  ●
  私の父は最後鶏寧県の総務課長でした。終戦間際はに召集、牡丹江で特別幹部候補生として訓練。
  終戦の時は、まだ正式に部隊編入されていなかったので、武装解除のとき「本隊と行動を共にするもよし。行くところがある者は、自由行動を許す」と部隊長公認のもとに脱走して、撫順まで逃げてきました。
  だから父はソ連抑留はされませんでした。
   下記URLは父が最後に住んだと思われる鶏寧の官舎です。s


> 呼べば答える位置にローラさんご一家は一時期お住まいだったのですね。
  ●
  思わぬご縁があったのですね。
>

http://www.ken-san.jp/burabura/ryokou/titinorei.htm

 

Re: 旧満州交通部

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年10月14日(日)19時48分30秒 64.64.108.145
返信・引用 編集済
  > No.562[元記事へ]

>
> 私は、2005年の9月に満洲談話室の仲間と一緒に長春を訪問した折、偽満満洲国交通部の建物だけは写してきました。
> このページにあります。


良い写真ですね。
私は写真が苦手で、特に整理が苦手で、中国各地を旅行した写真も多くは、何処で何を撮ったやら分からなくなっています。
印象が深い場所では感傷に浸って、写しそびれる。「また次来よう」と諦めるのですが、私に「また次」はありません。

www.ken-san.jp

 

「東安土木工程処」

 投稿者:Yoshi  投稿日:2018年10月14日(日)17時36分22秒 d-202-243-88-198.ftth.katch.ne.jp
返信・引用
  ローラさん、

東安土木工程処はきっと「東安省公暑」の中だったのではないかと思いますが・・・・。

東安省公暑に警察暑など、まとまって官庁の施設が多かった。現在は「密山一中」です。
東安神社も隣接し、東安の日本人小学校も近い位置でした。

東安市役所は駅に近い場所でしたし、現在は「密山市役所」となり、同じ位置です。

省公暑は親父は総務課の課長だったとか、東安警察に勤務されていた方から聞きました。
すぐ近くの官舎街に住み、思い出深い少年時代です。

呼べば答える位置にローラさんご一家は一時期お住まいだったのですね。

一度、ネットで東安放送局近くの官舎に住んで、小学校に通ったという方から連絡があり、
放送局があった記憶が夢幻のように思えるので、自分の記憶が正しいか確認したいということでした。

私の官舎から彼方の放送局のアンテナが見える位置でした。
真冬にキラキラ光る電線が余計寒さを感じさせました。

そこで東安市の地図に手書きで放送局の位置を入れて差し上げたことがありましたが、
ご自分の記憶とぴったり一致して、夢幻ではなかった、己の人生に満州があったと喜ばれました。


 

Re: 旧満州交通部

 投稿者:ローラメール  投稿日:2018年10月14日(日)11時25分13秒 93.255.accsnet.ne.jp
返信・引用
  > No.561[元記事へ]

>  下記のURLは「百度」(中国の検索サイト)から検索した、写真です。
>  長春(旧新京)は満州時代の建物が、歴史記念物として見事に保存されています。
>  ローラさんのお父上はここで仕事をされていたのですね。
>

けんさん、
お忙しい中、わざわざ私の為に百度で調べてくださったのですね。
感謝、感謝です。

一番の収穫は局長崔氏のお顔を見る事が出来たことかなあ。
中国語が読めないので残念というか、ホッとしてるというか。

私は、2005年の9月に満洲談話室の仲間と一緒に長春を訪問した折、偽満満洲国交通部の建物だけは写してきました。
このページにあります。
     ↓
http://www4.airnet.ne.jp/tomo63/homepage/COOL/2005photo/changchun/changchun2.htm

父はこの交通部に所属していたことは間違いありませんが、勤務地は「東安土木工程処」に始まり、最後が「牡丹江土木工程処」処長でした。
長春の交通部で働いていた訳ではありません。

しかし、ソ連参戦後私たちがこの長春の交通部を頼りに避難してきたことは間違いありません。
牡丹江土木工程処の庶務課長が交通部から、最後の給料と敗戦後の救済資金を受け取ったのも確かです。
ですから私は、交通部の建物は是非見たいと思っていたのです。

http://www2.accsnet.ne.jp/~laura_1788/

 

旧満州交通部

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年10月13日(土)20時53分37秒 64.64.108.145
返信・引用
   下記のURLは「百度」(中国の検索サイト)から検索した、写真です。
 長春(旧新京)は満州時代の建物が、歴史記念物として見事に保存されています。
 ローラさんのお父上はここで仕事をされていたのですね。

http://www.baidu.com/s?ie=utf-8&f=3&rsv_bp=1&rsv_idx=1&tn=baidu&wd=%E9%95%BF%E6%98%A5%20%20%E4%BC%AA%E6%BB%A1%20%E4%BA%A4%E9%80%9A%E9%83%A8&oq=%25E9%2595%25BF%25E6%2598%25A5&rsv_pq=8dd9f94100043afc&rsv_t=386ezITKMCiL3t%2B3boQ3elW%2BDrZct6LPvwrGlJi9Y4ALS3v

 

Re: 男の一生

 投稿者:ローラメール  投稿日:2018年10月13日(土)11時56分49秒 93.255.accsnet.ne.jp
返信・引用
  > No.559[元記事へ]

けんさん、
>  ところが、実際に婚礼をあげてみたところ、妻になった女性は惚れた女の人ではなくその姉さんだったのだそうです。
>  ●
>  面白い。「嘘ドラ」ですか?「朝ドラ」ですか?
>
事実は小説よりも奇なり、ですよ。
父は理系の土木屋(橋の設計など)でしたが、実の兄はどんな職業で家族を養って来られた方か分かりませんが、晩年近くに自分たちの生い立ちを活字にして残して下さったのです。

>  当時満州に来た人達は、皆内地に屈折した事情を抱えていたと思います。

それは、もしかしたら父にも当てはまるかもしれません。
しかし、北海道庁の土木課に勤務していましたので、食い詰めていたわけではありません。
恩ある方が、当時満洲国の偉い役について折、その方に強く、強く説得されてしまったのだと母からは聞いております。

>  実は広島の人で父が亡くなったあと、私のホームページを見たと便りを下さった方がいました。

それは、良かったですねえ。
羨ましいです。
私もせめて父が満洲で働いていた満洲国交通部土木課の関係者からメールでも入らないかと期待した時期もありましたが、今は諦めています。

1度だけ、NHKの方から「牡丹江の土木課にいた○○さんの消息を知りませんか?」とのメールが入りました。
父はすでに鬼籍に入っておりましたので、札幌の母に問い合わせてみましたが、「そのような名前の方がいたような気がするけれど、満洲関係の名簿などは父さんが死んだ後で皆処分してしまったので住所は分からない」という何ともつれない返事でした。
私が家を出て自立するくらいまでは、毎年「牡丹江交通部土木課関係者と一緒の旅行」というのがあって、いつも両親は参加していたのですのに・・・・。

http://www2.accsnet.ne.jp/~laura_1788/

 

Re: 男の一生

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年10月13日(土)00時51分26秒 64.64.108.66
返信・引用 編集済
  > No.558[元記事へ]

> けんさん、
> 満洲の大地にかかわった親子三代の男の物語を、ぜひお書きになって下さい。
  ●
 ノンフィクションでいくか、空想を膨らますか。いずれにしろ竹のカーテン時代について知りたい。

>>
> 「膨大さ」とは何が膨大だったのですか?
 ●
 土地台帳の数字です。


> 私は実の祖父母というものを全く知らずに育ちました。
 ●
 「家家都有難念的経」(どこの家にも難しいお経がある)ローラさんも「業」を背負っていたのですね。


> ところが、実際に婚礼をあげてみたところ、妻になった女性は惚れた女の人ではなくその姉さんだったのだそうです。
 ●
 面白い。「嘘ドラ」ですか?「朝ドラ」ですか?


> 実の祖父は文士気取りの男で、河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)の弟子の又弟子くらいだったそうです。多分、デリケートな面を持つ人だったのでしょう。
> そのような事情で間違って結婚してしまったのですから、うまく行くはずがありません。
> それでも子どもだけは年子で男子二人生まれたそうで、不思議ですね。(^o^)
 ●
 その不思議がないと、貴女も生まれていない。

>
> やがて、実の祖父は嫁と二人の子どもを残して出奔してしまいました。
> 生活に困った嫁さん(実の祖母)は長男1人を手元に残し、生まれたばかりの次男(私の父)をある子どものいない夫婦に養子に出しました。

> そういう訳で、実の母親の元に残った伯父は中学校へも行けませんでしたが、父は育ての母親の強い期待と経済力のお陰で大学を卒業できたのです。(養父は事故で早死にしたけど)
> 後年、伯父が我が家を訪ねてきたことがあり、私は伯父の顔を初めて見て次兄に似てると思いました。
> やはり、血はあらそえません。
>
> しかし、私の父は実の母にも兄にも心開くことはありませんでしたので、音信はやがて途絶えてしまいました。
> 学校の教師をしている従姉妹たちがいるらしいのですが、一度も会ったことはありません。

 ●
 当時満州に来た人達は、皆内地に屈折した事情を抱えていたと思います。
 海外雄飛という言葉は勇ましいが、実は悪い言葉で言えば「食いつめ者」。それは我が家だけではないでしょう。
 実は広島の人で父が亡くなったあと、私のホームページを見たと便りを下さった方がいました。
 訪ねて行ったら、中国山脈の山麓に塀の修理だけで数億円かかったと言われる豪邸でした。
 父はそんな親類が居ることは言っていませんでしたから、多分夜逃げしたとき不義理をした親類でしょう。
 その方も「過ぎたことです」と何も語ってくれませんでした。数年前、その方もご子息から「父は高齢で年賀状を遠慮します」というはがきを貰いました。
 実はまだ思いがけない親類が居たのですが、敢えてお訪ねしていません。
 

http://www.ken東京都san.jp/tokou/hikiage/hi_miyagisi.html

 

Re: 男の一生

 投稿者:ローラメール  投稿日:2018年10月12日(金)21時20分11秒 93.255.accsnet.ne.jp
返信・引用
  けんさん、
満洲の大地にかかわった親子三代の男の物語を、ぜひお書きになって下さい。
確か以前にお祖父さんの住んでいらした開原を訪問されたことがありましたよね。
舞台装置はあるわけです。

ところで、次の文章の意味がよく分かりません。

>  勿論何も語らず。語れない事情を抱えていた。相場に失敗して、夜逃げしたのですから。
>  先日お墓の処分をするため広島法務局の土地台帳を閲覧して、その膨大さを知りました。

「膨大さ」とは何が膨大だったのですか?
お墓の広さが膨大だったのでしょうか?それとも家屋敷の広さが膨大だったのでしょうか?
それとも、相場で失敗した金高が膨大だったのでしょうか?

          ★

私は実の祖父母というものを全く知らずに育ちました。
父の父親は1人の女性を見そめてお嫁に欲しいと頼んだのだそうです。
ところが、実際に婚礼をあげてみたところ、妻になった女性は惚れた女の人ではなくその姉さんだったのだそうです。
実の祖父は文士気取りの男で、河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)の弟子の又弟子くらいだったそうです。多分、デリケートな面を持つ人だったのでしょう。
そのような事情で間違って結婚してしまったのですから、うまく行くはずがありません。
それでも子どもだけは年子で男子二人生まれたそうで、不思議ですね。(^o^)

やがて、実の祖父は嫁と二人の子どもを残して出奔してしまいました。
生活に困った嫁さん(実の祖母)は長男1人を手元に残し、生まれたばかりの次男(私の父)をある子どものいない夫婦に養子に出しました。

そういう訳で、実の母親の元に残った伯父は中学校へも行けませんでしたが、父は育ての母親の強い期待と経済力のお陰で大学を卒業できたのです。(養父は事故で早死にしたけど)
後年、伯父が我が家を訪ねてきたことがあり、私は伯父の顔を初めて見て次兄に似てると思いました。
やはり、血はあらそえません。

しかし、私の父は実の母にも兄にも心開くことはありませんでしたので、音信はやがて途絶えてしまいました。
学校の教師をしている従姉妹たちがいるらしいのですが、一度も会ったことはありません。

http://www2.accsnet.ne.jp/~laura_1788/

 

男の一生

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年10月12日(金)08時34分38秒 64.64.108.101
返信・引用
   「女の一生」はそのまま小説になるのに、「男の一生」は何故小説にならないのですかね。
 満州に生きた男達は、みなドラマを持っていたと思うのですが、その多くの方はあまり自分を語らず去りました。
 私の祖父は日露戦争に従軍しました。そのあと事情があり遼寧省開原で診療所みたいな物を開き満州で果てる。
 勿論何も語らず。語れない事情を抱えていた。相場に失敗して、夜逃げしたのですから。
 先日お墓の処分をするため広島法務局の土地台帳を閲覧して、その膨大さを知りました。
 父は、そのときから満州で育ち、満州の学校に行き、満州国資材局地政課参事として終戦。
 父は語りたい物を多く持っていたのですが、私が語らさなかった。
 「満州は侵略だ」とぴっしゃっと言って、父に二の句を継がさなかったのです。
 親不孝な子でした。
 祖父の分も父の分も、そして私の八十路も語りたい。それは、そのまま満州の歴史と重なると思いますから。


 

http://www.ken-san.jp/tokou/hikiage/hi_miyagisi.html

 

Re: 女の一生

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年10月 8日(月)21時54分27秒 64.64.108.66
返信・引用 編集済
  > No.555[元記事へ]

>> 私も文革に翻弄された女性の体験記は数冊読んでいますが、タイトルは忘れました。
> 唯一強烈に思い出せるのは、「ワイルド・スワン」(Wild Swans)上中下です。
>
> ローラさん
 ワイルド・スワンは私も読みました。そして強烈な感銘をうけました。
 恥ずかしながら、「文化大革命」は無邪気に「文化的な革命」と思っていましたから。
 その後NHKの「中国の夜明け」(題名は不正確???)という文革時代を密着報道したビデオもみました。
 「やらせ」番組ではないと思うのだけど、何か夜明けを思わせました。
 文革時代のことは、その時代を生きた人は口が重い。
 78才の友人の男性は自転車旅行で文字通り苦楽を共にした仲です。
 彼が言った言葉ですが、「敵我不分」と言う言葉は重い響きがあります。
 誰が敵で誰が味方か分からない。まさに肉親同士の血で血を洗う内戦だったのですね。
 撫順の労働公園で、炭鉱労働者の殉難碑に参ったときのこと。たまたまある男性が、私を日本人と知って言ってくれたこと。この近くは毎週火曜日になると何名かの首つり自殺があったそうでそう。何故火曜日か。あまり深く尋ねませんでしたが、多分毎週一度例の人民の敵(幹部)に対する厳しいつるし上げ(糾弾が)あったのでしょう。
 「敵我不分」は文革終了後も尾を引いたようです。皮肉な言い方をしたら、「敵我不分」の中でみな互いに加害者だったはずですが、終わったら皆が被害者でした。


http://www.ken-san.jp

 

女の一生

 投稿者:ローラメール  投稿日:2018年10月 8日(月)11時32分41秒 93.255.accsnet.ne.jp
返信・引用
  > No.554[元記事へ]

>  私が彼女の身の上話を通して知りたいのは、建国から改革開放までの、閉ざされた中国です。
>  そこには、私達「満州子」一人一人にあるドラマの後の満州があります。そのブラックボックスの中に、現代中国に繋がる知られざる中国があります。
>  かつて「山東苦力」(サントンクリー)と言う言葉があったように、旧満州は山東省からの出稼ぎ労働者が多かった。彼女の父親も山東省出身ですが、文革の時「下放」で来ている。そして瀋陽の女性と結ばれるのですが、文革が終わり山東省に戻るとき、現地での既婚者は帰国出来ない。それで偽装離婚する。戻ったものの山東省に生活の基盤はすでにない。また瀋陽に来て再婚する。それがドラマの背景です。
>  両親を含め家庭の暗い話は横において、時代の語り部をお願いしています。
>  私も聞いて欲しいという人が、他に居ます。

       ★★★

けんさん、
お知り合い女性の人生ドラマ背景を書いて下さり謝々です。

私も文革に翻弄された女性の体験記は数冊読んでいますが、タイトルは忘れました。
唯一強烈に思い出せるのは、「ワイルド・スワン」(Wild Swans)上中下です。

もちろんご存知とは思いますが、参考までに概略を書かせてもらいます。
この本は、中国人女性作家ユン・チアンの自伝的ノンフィクションです。
著者の祖母は15歳で軍閥将軍の妾でした。
母は、新しい支配者日本の過酷な占領政策を体験します。

その後、母は父と共に共産党で昇進しますが、父は心を病みます。
誠実なだけに家族共々文革に翻弄されて苦しみました。
(以後略)

http://www2.accsnet.ne.jp/~laura_1788/

 

Re: お許しを

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年10月 7日(日)17時33分49秒 64.64.108.102
返信・引用 編集済
  > No.552[元記事へ]

>
> >  共に行く母親は、人生の業を一人で背負ったような女性です。
>
> 私はそういう方の生き様を知りたいといつも思っています。

  ローラさん

 モーパッサンではありませんが、「女の一生」は一人一人そのまま小説になりますね。
 私が彼女の身の上話を通して知りたいのは、建国から改革開放までの、閉ざされた中国です。
 そこには、私達「満州子」一人一人にあるドラマの後の満州があります。そのブラックボックスの中に、現代中国に繋がる知られざる中国があります。
 かつて「山東苦力」(サントンクリー)と言う言葉があったように、旧満州は山東省からの出稼ぎ労働者が多かった。彼女の父親も山東省出身ですが、文革の時「下放」で来ている。そして瀋陽の女性と結ばれるのですが、文革が終わり山東省に戻るとき、現地での既婚者は帰国出来ない。それで偽装離婚する。戻ったものの山東省に生活の基盤はすでにない。また瀋陽に来て再婚する。それがドラマの背景です。
 両親を含め家庭の暗い話は横において、時代の語り部をお願いしています。
 私も聞いて欲しいという人が、他に居ます。
 当然ながら、「満州」は、誰にも語り尽くせない物をここに生きた全ての人に残している。しかしその歴史のどの一ページが狂ってもここに居る誰も存在しない。歴史そのものが存在しない。


 

http://www.ken-san.jp

 

Re: お許しを

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年10月 4日(木)00時21分6秒 64.64.108.180
返信・引用 編集済
  > No.552[元記事へ]

>
> けんさんがお好きなようになされば良いことです。
> 「お許しを」なんて言われて、ビックリしてしまいました。(;^_^A アセアセ・・・
>

 驚かせてごめんなさい。
 このところ、著作権と表現の自由という敏感な問題と向き合っていますので、神経過敏になっているかもしれません。
 海賊版が公然の秘密になっている中国では、知的所有権に対する感覚は無いと言っていいほど薄い。
 今回コンサートを開催するに当たり、この面は弁護士、現役の作曲家、JASRACの知人の指導の下、愚直にガチガチに固めました。中国側には、これが最初で終わりではないことをしっかり理解して貰い、駄目なこと駄目と具体的に契約書を取り交わしました。
 それと中国は表現の自由はありません。演奏曲目は全て事前に録音テープを文化局に提出して、審査を受けています。郷に入らば郷に従えです。
 掲示板の著作権もですが、掲示板そのものが、自由ではありません。
 例えば、私のニーハオ広場は、満州談話室と同じブログ会社ですが、中国からは見ることが出来ません。
  「金の盾」と呼ばれる中国政府のネット監視フィルターでブロックされているのです。
 VPNという方法でブロックを外していますが、厳密には違法かもしれない。スパイ防止法で引っかけられる恐れはあります。
 私のメールも電話も全て当局の監視下にあります。決して私の思い過ごしではありません。勿論物的証拠はりありませんが、状況証拠はあります。天網恢々疎にして漏らさず。電話盗聴もメール監視も、国家機関がやれば、技術的には非常に簡単なことです。
 私は隠れる所がないのです。だから隠れる必要がないように生きています。
 「見えないときは見られている」それを知って居るから、常に敢えて身を晒しています。
  

www,ken-san.jp

 

Re: お許しを

 投稿者:ローラメール  投稿日:2018年10月 2日(火)21時16分33秒 93.255.accsnet.ne.jp
返信・引用
  > No.550[元記事へ]

>  ミャンマーでは、尺八と囲碁を教えた子供が出家の修行をしています。
>  共に行く母親は、人生の業を一人で背負ったような女性です。今成功していますが・・・
>  私達が共通するのは、仏教徒であること。
>  一人の人間の悩みを深く聞くことは、また上の世界の問題を考える事ともつながります。
>  彼女の悩みと生涯の経験を語ってもらうことを通して、中国の竹のカーテン時代(建国から改革開放まで)を勉強しています。彼女の回りの友人達も、私の知らない中国を語ってくれます。
>  当然ながら満州は彼らの中で繋がっています。私の一部でもあるが、中国の歴史の一部です。
>
>  もう一人日本から一緒に行く男性は、自転車仲間です。朝から晩まで、24時間寝ているときも苦楽と共にする仲は、極限の中で怒鳴りあう喧嘩もしました。だからミャンマーまで付き合える。彼も変人で、昔ミャンマーで日本語教師をしたことがある。
>  昨日彼女に切符を買って貰いました。今は携帯電話で買える。格安便で、瀋陽マンダレー往復1700元。(日本円約2万8000円)。宿賃を入れても4万円もあったら仏教のメッカで一週間学べるでしょう。
>
      ★★★

けんさんがお好きなようになされば良いことです。
「お許しを」なんて言われて、ビックリしてしまいました。(;^_^A アセアセ・・・

そうでしたね。ミャンマー行きが待ってるのでした。
旅費が安いのにもビックリしました。

>  共に行く母親は、人生の業を一人で背負ったような女性です。

私はそういう方の生き様を知りたいといつも思っています。 

http://www2.accsnet.ne.jp/~laura_1788/

 

Re: 国慶節

 投稿者:ローラメール  投稿日:2018年10月 2日(火)20時55分34秒 93.255.accsnet.ne.jp
返信・引用
  > No.547[元記事へ]

> 瓜分

瓜分とい言葉は、日本語で見たことがないので中国語でしょうか?
中国語の意味として「切り取る」とありました。
引用の意味でしょうか?

以下に書いて下さった文章は大変興味深く読ませてもらいました。
ありがとうございました。

http://www2.accsnet.ne.jp/~laura_1788/

 

お許しを

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年10月 2日(火)10時20分43秒 64.64.108.100
返信・引用 編集済
   ローラさん
 中世、産業革命、ユダヤ資本の台頭、私有財産追及の自由、科学の発展、人権と平等、戦争と平和。
 どれ一つとっても大きな命題ですが、満州を考える中から、一つにまとめてみたい。
 ここで書くとまた長くなるので、これまでのことを含め私の掲示板に転載することをお許し下さい。

 +++++
 上の命題と一見無関係ですが、音楽会が終わってミャンマーへ行くのは、音楽会もミャンマーもこれと深く関わっています。
 ミャンマーでは、尺八と囲碁を教えた子供が出家の修行をしています。
 共に行く母親は、人生の業を一人で背負ったような女性です。今成功していますが・・・
 私達が共通するのは、仏教徒であること。
 一人の人間の悩みを深く聞くことは、また上の世界の問題を考える事ともつながります。
 彼女の悩みと生涯の経験を語ってもらうことを通して、中国の竹のカーテン時代(建国から改革開放まで)を勉強しています。彼女の回りの友人達も、私の知らない中国を語ってくれます。
 当然ながら満州は彼らの中で繋がっています。私の一部でもあるが、中国の歴史の一部です。

 もう一人日本から一緒に行く男性は、自転車仲間です。朝から晩まで、24時間寝ているときも苦楽と共にする仲は、極限の中で怒鳴りあう喧嘩もしました。だからミャンマーまで付き合える。彼も変人で、昔ミャンマーで日本語教師をしたことがある。
 昨日彼女に切符を買って貰いました。今は携帯電話で買える。格安便で、瀋陽マンダレー往復1700元。(日本円約2万8000円)。宿賃を入れても4万円もあったら仏教のメッカで一週間学べるでしょう。

 

http://www.ken-san.jp

 

Re: 国慶節

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年10月 2日(火)00時50分30秒 64.64.108.100
返信・引用
  > No.548[元記事へ]

> > 満洲開発のためにユダヤ資本を導入し、さらには在米ユダヤ人に働きかけて、日米関係を改善しようとする野心があったようですね。
> >
>   ●
>  私はユダヤ問題に関して語る見識も、資料も持ち合わせていません。
>  以下情緒的な意見になるのをお許し下さい。
>
>  私は日露戦争は、ユダヤ資本と共産主義の戦いを日本がユダヤ資本の代理人として戦った代理戦争だと思っています。
>  中国内戦も、ユダヤ資本を背景にした国民党とソ連の後押しを受けた中国共産党の代理戦争だと思っています。
>  日米関係の改善にユダヤ資本が動いたか?
>  童話でないでしょうか?
>  ユダヤ資本に限らない。金は権力の背後で常に戦争を餌にしている。
>  戦争と経済。この関係が正直分からない。
>  明日を良かれと願っての経済活動の行く先に、何故戦争が待つ?
>
>
>
>   

http://www.ken-san.jp

 

Re: 国慶節

 投稿者:けんさんメール  投稿日:2018年10月 1日(月)23時42分47秒 64.64.108.100
返信・引用 編集済
  > No.546[元記事へ]

    ↓
> > 満州問題は、アメリカの野望を抜きにしては語れません。
>

瓜分

 リットン調査団の勧告の骨子は、満州の国としての独立性は認めないものの、満州における日本の利権もソ連の利権も認めていました。結論として、紛争の解決は国際協力でやりなさいというものです。
 国際協力という言葉で名指しはしていませんが、アメリカと協力しなさいということです。当時葫蘆島にもアメリカの開発資金が入っていました。張学良の開港碑が立っていますが、張学良も蒋介石もアメリカの傀儡そのものです。
 これは、中国からみたら「瓜分」そのものです。「誰の国を誰が勝手に切り刻む」
 これが抗日の原点です。
 リットン調査団も認めているのは、満州での日本の経済面と民生面での寄与です。
 インフラの整備、教育の拡充、民生の安定、民族の協和、産業基盤の強化、治安の維持等、それぞれ一定の成果を上げ、王道楽土の建設に邁進していたのは事実です。
 主観的には良いことをしていたのですが、植民地政策に成果を上げたから侵略にならないとは言えない。
 他国の主権を武力で犯したら侵略です。日本の軍部は「満蒙主権不在論」を展開していましたが、論外です。

 アメリカは、日本の中国進出が黙視できず、リットン調査団という芝居を打った。
 松岡さんは、手を汚さずに中国進出を目指すアメリカが許せず、国聯脱退という大芝居を打った。しかしこれは外交的に失敗だった。自ら回顧録の中で認めています。

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Re: 国慶節

 投稿者:ローラメール  投稿日:2018年10月 1日(月)21時02分4秒 93.255.accsnet.ne.jp
返信・引用
  > No.543[元記事へ]

>  私も、満州の語り部の一人を自認しています。
>  しかし懐かしの満州と同時に、侵略の歴史も語ります。
>  表面に出ない侵略戦争の裏の歴史にも関心があります。
>  満州問題は、アメリカの野望を抜きにしては語れません。
>  これを語ることと、歴史認識は全然矛盾しないのですが、侵略の客観的事実から目を背けて愛国を語る人達と中国を敵視する人達は、歴史認識=自虐と短絡した思想から抜けていない。
>  中国そのものも、どんどん変わっています。
>  現代中国の語り部もしたいと、老いの身で中国暮らしをしています。
>  自分を語ることは、その信念を語ることでもある。
>
        ★★★

けんさん、
ハイ、良く分かりました。(^o^)
できれば、次の点について教えていただければありがたいです。
    ↓
>  満州問題は、アメリカの野望を抜きにしては語れません。

「民族協和」を旗印としていた満洲国で、ユダヤ人にも広く門戸を開放するとした幻の計画があったことを数年前に知りました。
満洲開発のためにユダヤ資本を導入し、さらには在米ユダヤ人に働きかけて、日米関係を改善しようとする野心があったようですね。

また、リトアニアで杉原千畝氏がユダヤ人にピザを発給した話はあまりにも有名です。映画にもなりました。
しかし、彼が官費留学生としてハルピン学院でロシア語を学び外務省入りし、4年間満洲国外交部に派遣されていたことは知りませんでした。 

http://www2.accsnet.ne.jp/~laura_1788/

 

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