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そろりそろり

 投稿者:恵美  投稿日:2012年11月 2日(金)10時38分59秒
返信・引用
  諸般の事情により長期留守にしておりましたが、
そろりそろり、たらりたらり~
復帰いたします。
 
 

(無題)

 投稿者:恵美  投稿日:2011年 1月16日(日)14時21分49秒
返信・引用
  金沢詩乃さんHP:  http://hibitoki.blog118.fc2.com/

金沢詩乃さんが五行歌集四部作を作成公開されている(パブー公開中)。
パブーURL: http://p.booklog.jp/users/shinop
~渇~、~棲~、~景~、~胞~。

どの作品の言葉にも、この歌人らしい質感、しっかりとした手触りが感じられる。大地に直結し、大地の根っこに絡まり、渦巻き、沸騰するエネルギーのようなもの、激ち、沸き、存在の重さといったものを具えた言葉たちの手触り。けっしてライトヴァースにみられるような繊細で濃やかでつるりと滑らかな言葉ではない、ざらりとした質感。

 連れて行かれたい
 ほどの
 絶唱
 風の岬にて
 聞く      (~景~より)

 仁王立ちで
 いのちを
 産み落とす
 おんな
 であれ    (~胞~より)

金沢詩乃四部作より、かぎりなく魅せられ、惹かれた二首を引く。

〈連れて行かれたい〉:
この歌の岬に吹く風は、風のエッジそのものである。風のエッジは、岬に立つ者の身を削ぐ刃となって吹き荒ぶあらぶる風の息でもあろう。風の息は歌をうたっている。が、その風の歌を聞く者は、風のエッジによって「禊」をうける。水火による禊と同様、風による禊というものもあるのだ。読む者もまた風の息によって身を浄められるようだ。「絶唱」の絶唱たる所以、その辺にあるのであろう。

〈仁王立ちで〉:
現実的なレベルで「おんな」の「産む」機能をもたないわたくしには、玄翁でがーんと、どやされたような衝撃の一首。「仁王立ちで/いのちを/産み落とす」の語の迫力にタジタジである。
縄文の女性土偶がもつ「いのち」への祈りと同種のエネルギーが、「仁王立ち」したおんなの身体中に渦巻いているのが見えるようだ。
 

(無題)

 投稿者:恵美  投稿日:2010年12月30日(木)02時07分37秒
返信・引用
  『五行歌』2011年1月号p.62より

  悠久の中の      向丘 草壁焰太
  一匹の獣として
  逝きたい
  見ることを得たものに
  札(ゐや)して

・・・*・・・*・・・
う~ん、1月号掲載草壁主宰作品のなかで最も好きな歌だっただけに、おもわず溜息がでしまった。
最終行の「ゐやして」は「礼して」だろう。「札して」を「いやして」と訓ませるのは無理というもの。
この場合は単純な校正エラーとみなしていいのだろうが、たとえば「札して」と書いて「ふみして」と訓ませることは可能だろう。文脈からどちらとも受け取れるような場合であったらとおもうと、校正おそるべし、である。
ついでにいえば、草壁主宰作品で、これまで正仮名遣いをみなかったように思う。
ここで、なぜ正仮名振仮名なのか?
このルビ、妙に目立つ。
この文脈で「礼(れい)して」と読む者はまずいないだろう。「礼(いや)して」は常識の範囲で訓めると思う。しかしルビを振ったほうが読者の目をより引きつけ、その分強調的にはたらくということはあり得る。また、新仮名遣いに馴れた目には、正仮名遣いのほうがかえって新鮮に映るということもあり得る。そんなやこんな下意識的効果計算なぞ全く無くて、ひょんと正仮名遣いがでてしまった、ということだろうか?
(なんだか気になるルビ。)
 

「思う」の語源

 投稿者:恵美  投稿日:2010年10月11日(月)09時37分58秒
返信・引用
  10月7日の狭山100回記念歌会で、草壁主宰のお話のなかに、「「思う」の語源は「面」を「伏せる」ではないか、オモ フせる→オモ フ」、という話もされた。これについては、以前にも同じことを仰っていて、そのときもちゃんとあたってみようと思いつつ、いつもの怠け癖でそのままになっていた。

いくつかあたってみたなかの一つを以下に紹介。
http://e-katsuma.hp.infoseek.co.jp/gogenmanhitu/ggm4.htm

『日本国語大辞典』に、日本語の「オモウ(思う)」の語源についていくつかの説明があるが、最初に上げてある二つは次の通りである。(1)オボオボシ(朦朧)から生まれた語オモ(面)から。面に顕れる心の内の作用をオモフという。(2)形容詞オモイ(重)の語根オモから生じた語か。重たいような心持、すなわち、物思いに沈むような感覚、そこから進んで思考という意が出たのではないか。
(以下略)
・・・*・・・*・・・

「オモウ〈おもう〉」という訓みで――思う 想う 謂う 憶う 惟う 念う 懐う――
などの表記がなされているようだ。
 

(無題)

 投稿者:恵美  投稿日:2010年10月10日(日)16時18分9秒
返信・引用 編集済
  A●~E●まで、定型短詩形をめぐっての論議の幾つかを挙げてみた。

A●尾上柴舟の「短歌滅亡私論」、B●石川啄木の「歌のいろ〳〵」は、明治四十三(一九一〇)年、すなわち百年前、日韓併合の年、かつ、幸徳秋水らが天皇暗殺を企図したとされた大逆事件の年に書かれている。
(尾上柴舟氏については私はほとんど何も知らないのだが、)啄木は、明治期に、詩歌人であっただけでなく、政治思想的に最も鋭い批判精神をもっていた人という印象がある。その批判精神をもって韓国併合に際し、

 地図の上
 朝鮮国にくろぐろと
 墨をぬりつつ秋風を聴く

と詠んだことはよく知られている(若山牧水主宰誌『創作』に「九月の夜の不平」三十四首の一首として発表)。
だが、その前年の一九〇九年十月二十六日に初代内閣総理大臣・初代韓国統監であった伊藤博文を暗殺したとされる、朝鮮の独立運動家安重根(アン・ジュングン)を詠った歌

 雄々しくも
 死を恐れざる人のこと
 巷にあしき噂する日よ

は一九一〇年十月十三日に書かれながらも発表はされなかった。伊藤暗殺の事件現場にいた貴族院議員室田義文の証言によれば、伊藤に命中した弾丸はカービン銃から射たれたものというが、アン・ジュングンが所持していたのは拳銃であったことから、事件の真相は闇の中ともいえる。
これらの歌は、社会詠、時局歌であったといえようか。

『悲しき玩具』のなかで

 友も妻もかなしと思ふらし――
 病みて猶、
 革命のこと口に絶たねば。

 やや遠きものに思ひし
 テロリストの悲しき心も――
 近づく日のあり。

と詠った啄木の国家権力に対する批判精神は決して衰えてはいなかったと思われる。しかし、この鋭敏な批評精神の持ち主は長く生きることができなかった。
中野重治は啄木について、「この優れたわれわれの詩人を虐殺したものは誰であるか」と、問いかけている。

一方、C●に挙げたように、「歌の円寂する時」の中で釋迢空は、歌の命について触れた部分で、石川啄木の文章(B●)を意識しながら「石川啄木の改革も叙事の側に進んだものは、悉く失敗してゐる」と言っている。迢空自身、「叙事詩に展開ささうと試みて、私は非常に醜い作物を作り〳〵した。さうしてとゞのつまり、短歌の宿命に思ひ至つた」と言っているのである。

歌の命というものは、どこにあるのだろう。
 

(無題)

 投稿者:恵美  投稿日:2010年10月10日(日)10時56分41秒
返信・引用
  E●「奴隷の韻律―私と短歌―」小野十三郎「八雲」昭和二十三年一月号(抜粋)

短歌や俳句をめぐつてなされた桑原や小田切の批評に私があきたらないのは、ロジックとしてそこに透徹したものはあるけれども、いつの場合でも、この短歌や俳句の音数律に対する、古い生活と生命のリズムに対する、嫌悪の表明が絶対に希薄だということである。特に、短歌について云えば、あの三十一字音量感の底を流れている濡れた湿つぽいでれでれした詠嘆調、そういう閉塞された韻律に対する新しい世代の感性的な抵抗がなぜもつと紙背に徹して感じられないかということだ。(略)
だから例えば短歌という形式がかりに消滅するときがきても、短歌的抒情の本質は他の何かの形式の中に残る。それは所謂詩に解消することによつて詩人をだまし、小説の中核となることによつて作家を骨抜きにし、消滅するどころかまことに千変万化自由自在、益々異質の栄養分を吸収して肥満し生きのびる。短歌的なものはとつくの昔からすでに文学の原つぱに出ているのだ。どこかの隅つこに追いつめられて音をあげているような脆弱な精神ではない。
 

(無題)

 投稿者:恵美  投稿日:2010年10月10日(日)10時54分13秒
返信・引用
  D●「歌の条件」小田切秀雄「人民短歌」昭和二十一年三月号(一部抜粋)

折角自由になつたのだから、ひとつ思ひつきり自由に振舞つて、芸術らしい芸術を創らうではないか。(略)もはや短歌に固執する必要はどこにもありはしない。固執すべき芸術の条件を固執するところから短歌ならぬ他のどれかの文学ジャンルに押し出されるなら、行くところまで行つて見ようではないか。そして短歌に恋々として執着してゐる者と、その文学精神の高さを創り出された作品に於いて比較して見ようではないか。そしてこのときこの比較に堪へ得る短歌が若し短歌に恋々たる側に創り出されてゐなかつたら、短歌などといふものをもう投げ捨ててしまはう。
 

(無題)

 投稿者:恵美  投稿日:2010年10月10日(日)10時51分50秒
返信・引用
  C●「歌の円寂する時」釋迢空「改造」大正十五年七月号(一部抜粋)

歌を望みない方へ誘ふ力は、私だけの考へでも、少くとも三つはある。一つは、歌の享けた命数に限りがあること。二つには、歌よみ―私自身も恥かしながら其一人であり、かうした考へを有力に導いた反省の対象でもある―が、人間の出来て居な過ぎる点。三つには、真の意味の批評が一向に出て来ないことである。(略)
古典としての短歌は、恋愛気分が約束として含まれてゐなければならなかつたのである。かう言ふ本質を持つた短歌は、叙事詩としては、極めて不都合な条件を具へて居る訳だ。抒情に帰せなければならない短歌を、叙事詩に展開ささうと試みて、私は非常に醜い作物を作り〳〵した。さうしてとゞのつまり、短歌の宿命に思ひ至つた。私は自分のあきらめを以て、人に強ひるのではない。石川啄木の改革も叙事の側に進んだものは、悉く失敗してゐるのである。
 

(無題)

 投稿者:恵美  投稿日:2010年10月10日(日)10時49分8秒
返信・引用
  B●:石川啄木「東京朝日新聞」明治四十三年十二月十日~二十日(十二月二十日分を引用)
 (四)
○机の上に片肘をついて煙草を吹かしながら、私は書き物に疲れた眼を置時計の針に遊ばせてゐた。さうしてこんな事を考へてゐた。――凡そすべての事は、それが我々にとつて不便を感じさせるやうになつて來た時、我々はその不便な點に對して遠慮なく改造を試みるが可い。またさう爲るのが本當だ。我々は他の爲に生きてゐるのではない、我々は自身の爲に生きてゐるのだ。たとへば歌にしてもそうである。我々は既に一首の歌を一行に書き下すことに或不便、或不自然を感じて來た。其處でこれは歌それ〴〵の調子に依つて或歌は二行に或歌は三行に書くことにすれば可い。よしそれが歌の調子そのものを破ると言はれるにしてからが、その在來の調子それ自身が我々の感情にしつくりそぐはなくなつて來たのであれば、何も遠慮をする必要がないのだ。三十一文字といふ制限が不便な場合にはどし〳〵字あまりもやるべきである。又歌ふべき内容にしても、これは歌らしくないとか歌にならないとかいふ勝手な拘束を罷めてしまつて、何に限らず歌ひたいと思つた事は自由に歌へば可い。かうしてさへ行けば、忙しい生活の間に心に浮んでは消えてゆく刹那々々の感じを愛惜する心が人間にある限り、歌といふものは滅びない。假に現在の三十一文字が四十一文字になり、五十一文字になるにしても、兎に角歌といふものは滅びない。さうして我々はそれに依つて、その刹那々々の生命を愛惜する心を滿足させることが出來る。
○こんな事を考へて、恰度秒針が一囘轉する程の間、私は凝然としてゐた。さうして自分の心が次第々々に暗くなつて行くことを感じた。――私の不便を感じてゐるのは歌を一行に書き下す事ばかりではないのである。しかも私自身が現在に於て意のまゝに改め得るもの、改め得べきものは、僅にこの机の上の置時計や硯箱やインキ壺の位置とそれから歌ぐらゐなものである。謂はゞ何うでも可いやうな事ばかりである。さうして其他の眞に私に不便を感じさせ苦痛を感じさせるいろ〳〵の事に對しては、一指をも加へることが出來ないではないか。否、それに忍從し、それに屈伏して、慘ましき二重の生活を續けて行く外に此の世に生きる方法を有たないではないか。自分でも色々自分に辯解しては見るものゝ、私の生活は矢張現在の家族制度、階級制度、資本制度、知識賣買制度の犧牲である。
○目を移して、死んだものゝやうに疊の上に投げ出されてある人形を見た。歌は私の悲しい玩具である。(四十三年十二月)
 

(無題)

 投稿者:恵美  投稿日:2010年10月10日(日)10時44分12秒
返信・引用 編集済
  A●「短歌滅亡私論」尾上柴舟 「創作」明治四十三年十月号(一部抜粋)

この形式が自らの情調と一致したやうに考へるのは、畢竟、自分らに捉はれた処があるからである。世はいよ〳〵散文的に走つて行く。韻文時代は、すでに過去の一夢と過ぎ去つた。時代に伴ふべき人は、とく覚むべきではあるまいか。
私の議論は、また短歌の、主として言語を駆使することがまた、自分らを十分に写しえないと思ふのにも連なる。今日の生きた言語は、王朝以来、または時々にその以前の大分死んだ言語と同じくない。
 

(無題)

 投稿者:恵美  投稿日:2010年10月10日(日)09時49分3秒
返信・引用
  藤井貞和氏は「詩のなかの声」で、「『万葉集』の昔から〈うた〉は〈うたわない〉ものだったのではないか、ということをわたくしは言いたい。現実上の声を詩の表面から失っているのはとりたてて現代詩の有する個別的な問題じゃない。古代詩の昔からその問題はあったのだということを最初に言っておきたい。また最終的に言いたいことはそれに尽きるといっていいぐらいだ。」と言っている。

これは、もと声に出してうたわれるものであった歌が、文字化されテクスト化されることであらためて「歌」となったということであろう。そうして歌がテクスト化されることが普通になってしまてから以降は、歌はまず読まれることを前提として書かれる。
古の相聞歌なり贈答歌なりも、あくまで読まれることが前提であって、発声され朗読されることは必ずしも前提されていないのである。
歌が、うたわれるものであるとき、歌は定型的な韻律を伴ったほうが快い。しかし、歌が必ずしもうたわれるものではなくなったときには、定型的な韻律は歌の縛りとなる。
縛りがあった方がいい、という人もいれば縛りなぞない方がいい、という人もいよう。五行歌は緩い縛りを伴っている。縛り有りと縛り無しの折衷とか中庸とかいうわけではなく、現代の言葉で最も作歌しやすい形として見出された歌体ということであろう。

柳瀬丈子氏は、歌がうたわれるべきものとして作られ書かれることを心にかけておられるように思う。柳瀬氏の朗読を聴いていると、確かに発声されてはじめて言葉そのものが語り始めるということがある、ということに気づくことがある。そのたびに私は何か感性が少し拡大したような快い気持ちになる(というか、たんに、私がものを知らなさすぎる、だけかも……。)
 

(無題)

 投稿者:恵美  投稿日:2010年10月10日(日)09時13分19秒
返信・引用 編集済
  「肩刺せ 裾刺せ 綴れ刺せ」 柳瀬丈子
虫の音に
からだを包まれて
ばあちゃんの口癖を
思い出している   A: 2010.10.07狭山歌会出詠作品

肩刺せ 裾刺せ 綴れ刺せ  柳瀬丈子
草むらから
湧き起る
ルリ色の声が
からだを包む   B: 2010.9.28麹町倶楽部出詠作品

・・・*・・・*・・・
柳瀬丈子氏の近作二首を並べてみた。

10月7日の狭山歌会は、100回記念歌会で参加者が大勢だったためか、朗読はなかった。私の田舎では、コオロギは単にコオロギであって、その鳴き声に由来すると思われる「ツヅレサセコオロギ」という呼称を、私は知らなかった。加えて、出詠歌のプリントは予め読んでいたのに、これらの歌を私は実際に声に出して読んではいなかった。迂闊といえば、この歌を鑑賞するのに、これ以上の迂闊さはあるまい。この歌が発声されて読まれたときに生じる独特の感じを、私は摑んではいなかった。悠木すみれ氏の歌評で「針刺せ 糸刺せ 綴れ刺せ」とも聞きなされていることも、初めて知った。

こう並べてみると、作品Aの方がより朗読向けであるように思う。(柳瀬氏が自解の折に、「肩刺せ 裾刺せ 綴れ刺せ」を声に立て、虫の音のように発声されたときの声が耳にも心にも快く、印象深く残っている。)
作歌の順は私にはわからないが、出詠締切日から勝手に推測するならば、作品Aが先、作品Bが後なのではなかろうか。

作品Aの一行目、「肩刺せ 裾刺せ 綴れ刺せ」と、虫の音にカギ括弧が付されているが、作品Bではカギ括弧がとられている。作品Aにカギ括弧が付されているのは、一行目の「肩刺せ 裾刺せ 綴れ刺せ」が、虫の音であると同時に夜なべ仕事に冬支度の繕い物をする「ばあちゃんの口癖」でもあり、実際にばあちゃんが口にしていた〈声〉と二重うつしになっているからであろう。(作品Aでは、虫の〈音〉とばあちゃんの〈声〉が重ねられている。)
作品A二行目の「虫の音に」は、作品Bでは、「ルリ色の声が」となって四行目に置かれている。これは「虫の音」が補足説明的であることを避けたということであろうか。代わりに、虫の音の「リィリィ」を連想させるラ行「ル」「リ」を含む片仮名表記で「ルリ色の声」とし、〈音〉から〈声〉への変換を読み手に意識させないでごく自然に果たしている。
作品Bでは、ばあちゃんの口癖もその思い出も歌の主題から外され、虫の声に「からだを包」まれている私が歌の主体となっている。作品Aが「虫の声に/からだを包まれて」思い出された記憶に繋がる私のあり様を示しているとすれば、作品Bは「ルリ色の声」に「からだを包」まれている現在ただ今の私のあり様ということであろうか。
季節と時、自然と私との調和、今に繋がる過去の記憶と現在、そして時の移り、それらさまざまな移り、心の移りゆきも、この二首を並べることで見えてくるように思う。
作品B、作者によってルリ色の声と聴かれたことで、綴刺蟋蟀の音に色彩感が加味され、虫の音は声色となり、独特のオーラのようなものとなった。
声と音色―声と言葉―詩歌と詩歌の言葉のなかの声……。

欧米の人たちは、虫も音を雑音と聞き、日本人は虫の音を音楽のように聞くという。音楽のようにというのはちと言い過ぎかもしれぬが、少なくとも『萬葉集』秋の雑部に「古保呂岐」がうたわれている。また、江戸時代には〈虫売り〉なるものがあったことが成書に見られるし、〈虫の音の名所〉などもあったというから、古来、日本人は虫の音を少なくとも〈声〉と聞きなしていたことがわかる。これは脳の機能分布の違いはあるにしても、それ以上に、その違いを醸成してきた文化の違いと捉えたほうがいいのかもしれない。
日本では、虫の音を言葉に変換して聞いた。
つまり、音を耳で聞くのではなく、声として、言葉として、心で聞きとめてきたといえよう。
 

(無題)

 投稿者:恵美  投稿日:2010年 9月 6日(月)14時15分54秒
返信・引用
  8月17日の投稿の一部訂正:
>宗田安正著『昭和の名句集を読む』(木阿弥書店、昭和16年刊)を読んで、天皇の終戦勅語「玉音」を、「理解せし者前へ出よ」の痛烈さをあらためて感じとれたように思う。

×木阿弥書店、昭和16年刊→○本阿弥書店、平成16年刊
たいへん失礼いたしました!
(おお、情けない。なんでこういう間違い入力をしてしまったのか? 今日、読み直してみるまでまったく気づかなくて。すみません!)
 

(無題)

 投稿者:恵美  投稿日:2010年 9月 4日(土)15時58分8秒
返信・引用
  ■黒瀬珂瀾『空庭』「一坏の秋」(本阿弥書店、2009年)より

 溪水に唇を濡らせる九月尽あなたは人を殺しましたか
 生きることすなはち他者の生を吸ふ姫赤立羽コスモスに舞へ
 目覚めては身の欲る真水一坏にわたしは人を殺しましたか

・・・*・・・*・・・
「あなたは人を殺しましたか」「わたしは人を殺しましたか」ということばが、このところ夜ごと朝ごとに胸底になりやまない。上に引いた黒瀬氏の歌のことばから響いてくる声だ。私のなかの〈わたし〉が応えて、「はい、わたしは人を殺しました、わたしが生きているということは、そういうことなのです」と言い、「生きているかぎり、これからも殺すでしょう」と言う。
フーコーの「生権力」をもちだすまでもなく、まさしく「生きることすなはち他者の生を吸ふ」ことにほかならない、と思う。
2009年現在の推計世界人口は約68億人(国際連合経済社会局人口部『世界の人口推計2008年版』のデータからの推計)。うち、飢餓人口が約10億人。6.8人に1人が飢えている。ということは、5.8人が1人の食べものを奪っているということだ。そして、「わたし」も、「あなた」も、食べものを奪われている1人ではなく、5.8人の側にいる。
かつて日本でも、飢饉にみまわれたとき、木の根木の皮から草まで食べ尽くしたのちには、死んだ身内の肉を生き残ったものが食って生き延び、まだ身内に死者が出ていない場合は、片ももなりとも貸してくれ、といって屍肉の貸し借りまで行われたことが文書にのこされている。
この夏読んだ本のなかには、戦時、糧食補給の断たれた戦場にあって餓死寸前にまで追い込まれた日本軍の兵が、敵の白人兵の屍体を白豚、黒人兵の屍体を黒豚と称して食ったという話が出ていた。因みに餓島の戦死者の約半数は餓死であったという。
 

(無題)

 投稿者:恵美  投稿日:2010年 8月31日(火)15時25分30秒
返信・引用
  またしても蝶の死にあう。今年はいつもより多くの蝶を見、蝶の死を見たように思う。
ついこの前の29日(日曜日)には、死につつある蛾にであった。はじめは蝶かと思ったのだが、あとで蝶図鑑を眺めたり、検索をかけたりして、あれはオオシロオビアオシャクであったと手前勝手に結論したのだが、それはうっすらと顔料の胡粉を塗したような白緑の大きな翅をもっていた。そのオオシロオビアオシャクはまだ生きていたが、翅は傷んでもはや翔ぶ力はなく、地面でときどき思い出したように痙攣的に翅をふるわせていた。指先でつまんでみると、逃れようとして翅をふるわせるので、傷んだ翅がさらに傷んで脆くも破れた。死に逝くところをみていたいような誘惑にかられたが、この生きものとってはそれこそ余計なお世話というものだろう、そのまま地面に戻した。この生きものは明らかに死につつあったが、逆にいえばそれはまだ生きている証でもあった。
蝶が――飛翔しているものであっても、死につつあるものであっても――私の目を捉えるとき、なにものかの魂がなにごとかを伝えようとしているように思えてならない。

それはさておき、調べものの途中で、蝶と蛾の区別はどこでどうするのか、検索してみたが、どうもはっきりしない。
蝶や蛾はむろん漢語であり、輸入語である。そこで、倭ことばではなんというのか知らないことに気づいた。(――はい、もちろん、あたってみました――)
「かわひらこ(かはひらこ)」、「ひいる(ひひる)」、「ひひるむし」、「ひむし」などにいきあった。
さらにいろいろみてゆくと、
http://www.isis.ne.jp/landscape/020501.html
「言葉の景色」で、「言葉は言葉にとどまらない」という文章にいきついた。

この魅力的な文章の最後はこう結ばれていた――「それでも大きなアゲハがとつぜん飛来すると、どこか彼方からの伝言を感じさせることがあるから不思議である。」
蝶が私にとってなにかしら伝言を感じさせる生きものであることは前々から気づいていたのだが、これには歴史的に蓄積されてきた数多の人々の記憶がプールされてたゆたっているのではないだろうか。言葉の表層は、意味の世界であるが、その言葉の表層の下には深いメモリーの層があるように思う。それにしても、下意識の深みとそのゆたかさ、わけのわからなさにくらべるとき、明確に定義され一般化された意味の世界のなんと狭小で浅いことよ。
 

暴走族

 投稿者:恵美  投稿日:2010年 8月19日(木)11時03分20秒
返信・引用
   今日も朝から雑木林で  井上雄介(2010.08.03市ヶ谷歌会)
 暴走族が
 唸りをあげる
 ひと夏で
 己れを燃やし尽くす

>私個人的に「暴走族」をうまく読み取っていなかったことが残念でした。(葉翆さん)

わたくしめも最初読んだときには読みとれなかったひとり。
そこで、蟬の喩としての「暴走族」について、ちょこっと;

「暴走族」――主体の側からすれば、ただひたすら走ることに懸けている(、としましょう)。ではあっても、第三者からすれば、その走りはまさに暴走でしかなく、暴走に伴う音はノイズとしか聞こえない。

周知のとおり、蟬の地上での命は、ヒトの尺度からすれば極めて短い。鳴くのは、雄だけである。雄は、次世代に生命をつなぐ生殖行為=求愛行為のために、本能の命ずるままに、それこそ必死に、いま在る命を懸けて鳴いている。その蟬の声を喧しいと感じるか、あるいは生命を燃焼し尽くそうとする命懸けの声と聞くか、そのあたりが読み手の側が蟬の喩としての「暴走族」を捉えるときのキーになっているように思う。

「やがて死ぬけしきは見えず蟬の声」という芭蕉の句は、前書きに「無常迅速」と置いている。
やがて死ぬ生命であることを踏まえて上五に「やがて死ぬ」と「死」を置き、中七「けしきは見えず」と詠んだ。この「けしきは」の「は」の調子は、極めて強い。やがてくるであろう死の気色に対する否定の辞「見えず」の断もきっぱりとして強い。造化の無常迅速を捉える眼差しと、いまこの瞬時を生きているものを愛しむ眼差しとの共存――ここには、通俗な無常観ではなく、死の方から逆照射された生命観が溢れているように思う。

蟬の声を、生命燃焼の声、生命謳歌の歌と聞くか、騒音と聞くか――「暴走族」の読みは、この語に対する読み手の側の受け取り方の傾き加減にかかっているように思う。因みに、蛙鳴蟬噪という語の場合は、蛙の声も蟬の声も、ノイズと聞きなしているわけだ。
私は、夏の風物詩、喧しい蟬時雨が好き。
・・・*・・・*・・・

↑は、市ヶ谷歌会サイト掲示板への投稿なのですが、文字化けして投稿できないので(投稿はできるけど、化けて読めないので)、自己削除。で、コピーを、こちらの板にのっけてみました。
 

(無題)

 投稿者:恵美  投稿日:2010年 8月17日(火)02時09分0秒
返信・引用
  ◇渡邊白泉 1913-1969(大正2‐昭和44)
昭和10年代新興俳句の代表的作家渡邊白泉の本格的な句集『白泉句集』が出たのは、白泉の死後6を経た昭和50年であった。著者の死後、勤務先の高校のロッカーから発見された自筆句集稿本復刻『白泉句集』と、三橋敏雄収集『拾遺』の2分冊構成。新興俳句弾圧により検挙される以前の作「涙涎集」、執筆禁止中の戦中作「欅炎集」、戦後作「瑞蛇集」を収録。

昭和19年応召、横須賀海兵団入団。昭和20年、函館黒潮部隊分遣隊にて敗戦を迎える。〈水兵紛失〉(昭和19~20年)は、戦中作「欅炎集」に収める。〈水兵紛失〉より3句を引く。

 夏の海水兵ひとり紛失す
 俘虜若し海色の瞳に海を見つ
 玉音を理解せし者前へ出よ

軍隊では上官に対して意志表示するとき、また、制裁を受けるときも一歩列の前に出たという。
「玉音を」の句を初めて読んだときには、「前へ出よ」に込められているものが私には理解できなかった。新兵いじめの暴力がまるであたりまえのように振われたのは成書で幾度も読んでいたはずだが、軍隊でのこうした習慣に思い至らなかったのである。ただ強烈なイロニーだけは感じとれ、〈水兵紛失〉の中でも忘れ難い一句となっていた。宗田安正著『昭和の名句集を読む』(木阿弥書店、昭和16年刊)を読んで、天皇の終戦勅語「玉音」を、「理解せし者前へ出よ」の痛烈さをあらためて感じとれたように思う。
[この稿の書誌事項については、宗田安正著前掲書を参照しました。]
 

ようこそ!

 投稿者:恵美  投稿日:2010年 8月16日(月)08時29分2秒
返信・引用
  たけ坊さん、ようこそ! 投稿くださって、ありがとうございます。

『愛鷹山』には、本郷歌会やAQ歌会で御目文字したことのある方の作品にも出会え、本誌とは異なる形で出会ったことによって、あらためて出会った感の作品も多々あり、楽しく拝読させていただきました。

極短いものですのに、うてな恵三さんも読んでくださって、ありがとうございます。
「雨という字に」の三行め、「、、、、を」と雨だれを思いのしたたりのごとく四点重ねたところ、沁みいるようでした。
また、「わたしを/どう截るのですか」については、『五行歌』本誌で拝読の折から、心にのこっている作品でした。
五行歌A;たけ坊さんのおっしゃる、格調の高さに私もまた惹かれました。枯山水のなかにそこにはない無限の水をみせていただいたように思います。

こちらこそ、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 

Re: ない‐ある メモ

 投稿者:たけ坊  投稿日:2010年 8月15日(日)11時00分47秒
返信・引用
  > No.95[元記事へ]

恵美さん、こんにちは。

過日、歌集『愛鷹山』をお送りさせていただいた静岡東部五行歌会のたけ坊です。
昨日、うてな恵三さんから「無い美しさ・・・」の歌評が載っていることをお聞き
し駆けつけました。

『愛鷹山』を丹念にお読みいただき、感謝いたしております。

俳句Cについては、最初、相撲の星取表かと思いました。
五行歌Bについては、「平仮名」「漢字まじり」「カタカナ」の反意語ペアの組み
合わせの面白さ、とりわけ、恵美さんご指摘の「ナイ・アール」に愛嬌を感じま
した。

五行歌Aについては、Bに「意味」を付与しているだけでなく、作品全体に格調の
高さのようなものを感じました。

今後とも、よろしくお願いします。
 

China mist

 投稿者:恵美  投稿日:2010年 8月 6日(金)10時25分38秒
返信・引用
  China mistを読んでいて、素敵な対話を見つけた。―― 『現代中国詩集』(思潮社、1996年)より

  一切  北島[ペイ・タオ](是永駿訳)

一切が運命
一切が煙
一切が終りのない始まり
一切がつかのまの追跡
一切の歓びにほほえみは無く
一切の苦しみに涙の跡は無く
一切の言葉はくりかえし
一切の交わりは初めての出会い
一切の愛は心の中に
一切の往事は夢の中に
一切の希望には注釈がつきまとい
一切の信仰には呻吟がつきまとう
一切の爆発はかたときの静寂をともない
一切の死は冗長なこだまをともなう


  これも一切です――ある友人の詩《一切》に答える  舒婷[シュー・ティン](財部鳥子訳)

一切の大樹がみな
  嵐にへし折られるのではない、
一切の種がみな
  根を下ろす土壌を見つけられないのではない、
一切の真心がみな
  人の心の砂漠へ流失したのではない、
一切がみな
  翼を折られることに甘んじたわけではない。

否、一切はみな
あなたが言うようではない!

一切の火はみな
  自分自身のみを燃焼し
  他人を照らさないのではない、
一切の星々はみな
  夜だけを示しており
  暁を告げないのではない
一切の歌声はみな
  耳元をかすめて過ぎ
  心に留まらないのではない

否、一切はみな
あなたが言うようではない!

一切のアピールはみな反応がないのではなく、
一切の損失はみな保証がないのではなく、
一切の淵はみな滅亡に至るのではなく、
一切の滅亡はみな弱者の頭上を蓋うのではない、
一切の結果はみな
  血と涙で、笑顔を見せないというのではない。

一切の現在はみな未来を孕んでいる、
未来の一切はみな昨日から成長してきたのだ。
希望し、そしてそのために闘う、
この一切をどうぞあなたの肩の上に載せてください。
 

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